●レジェンド佐野ラーメン…復活?。
先日、久しぶりに佐野ラーメンのレジェンド「宝来軒」にラーメンを食べに行った。
実は、宝来軒さんは年末からつい最近まで閉店していた…
ちょっとドキドキしていた…もうこのまま閉店しちゃうんじゃないかと…。

大盛りワンタン麺…。ごちそうさまでした。
ご家族の方とお話しいただけたのですが、
要約すると…
老夫婦(主にラーメンを作っている…)が年末から順番に怪我をして、長い間休む結果になった…のだと。
この話はツイッターでもしましたが、
どうも、ご家族の方が店舗継続に疑問を抱いている感が…。
そりゃそうだ、自分の両親が老齢に鞭打ってお店を続けているんだから。
お聞きしたところ、
夏は厨房もひどく暑く、だから夜の営業はできず3時でおしまいなんです…と。
ご家族からすると、ゆっくり休んでもらいたいのだろう…。
だから、いつまでお店をやれるかどうか全くわからない、
明日にでも辞めるかもしれないし…とも。
厨房をのぞくと、背中の丸まった老夫婦が暑い厨房で忙しく働いていた…。
表に出ると、出入り口近くにある麺打ち部屋で中年の方が麺を打ち、
目があうと互いに会釈をした。
あの老夫婦がラーメン店を継いだ頃は、たぶん50年ほど前だろう。
とすれば、1968年ごろ…。
僕が4歳の鼻垂れ小僧でピーピー泣いていた頃には、修行していたのだろう。
創業は1930年、昭和5年創業とのことだから、戦前からの創業で
小麦生産の盛んな土地柄、その小麦と鶏の出汁を使い中華そば…が出来上がった。
第一次世界大戦終戦が1918年に終わり、初代店主が復員し教わった技術で開店したラーメン店。
そう、佐野ラーメンの始まり…。
その後第二次世界大戦が1945年に終戦を迎え、
主な産業が無かった為、空襲を避けられた佐野で中華そばの営業は出来ていたのでしょうか?
(昭和20年7月12日にはB29爆撃機が宇都宮・鹿沼市・真岡市などを空襲)
その後両毛地区には繊維産業(佐野は木綿)の起産があり、それに伴いファストフードとして
愛された佐野ラーメンであり、宝来軒だったのだろう。
そして、人口に対するラーメン店で日本一の市…という事で知られるようになり、
多くの人たちが「佐野ラーメン」と認識するようになる。
そして、個性的な佐野ラーメンを目指し多くのラーメン店がオープンする。
中には師弟関係のラーメン店も多い。
小麦・ジャガイモ・玉ねぎ…というような農特産物を栽培する土地柄と、
日本のソース生産企業の10%が集まる地域特性と、
就業者が多い繊維産業の発展…が重なれば、
「佐野ラーメン」「いもフライ」「イモ入り焼きそば」等の名物ができる事を想像するのは容易だ。
しかし、しかしだ。
いくら農産物と調味料、それに食べる人がたくさん要ればいい…というわけではなく、
麦を使い特殊な技術で麺を打ち、
素材を組み合わせ、
調味料を使う「人」が必要なのは言うまでもない。
そんな、調理人の一人だったのだろう。
僕たちと同じように旨いものが大好きな…。
そしてそれを助ける内助の功だったのだろう…お二人は。
年老い丸まった背中には、
苦労や疲れ…ではなく、
作る方の想い…と、数え切れないくらいの、食べる方の喜び…、
なんだか大切なものがたくさん詰まっていて、
大切にしてほしい…と、なんだか切に思った。
…佐野ラーメンを作ったレジェンド自身が作る、佐野ラーメン…。
宝来軒に佐野ラーメンを食べに行く機会があったら、
お会計時、厨房を覗いてみてください。
小さくて背中の丸いお二方がいらっしゃるでしょう。
まさに生きるレジェンドです。
一食一食、心して食べよう!
そして、食べてくださるよう…心から思います。
2018年7月20日・記


